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『自己紹介という体裁の日本人形劇史に関する小論文という体裁の団体指針書(こういう団体だったのかと試し読みを終えて呟いた劇団員が数名)でありやっぱり自己紹介』

 

​●はじめに

 まず〝傀儡子[くぐつ(し)]〟について、と書き始めてから続ける言葉に淀む。著名な先行研究者達がその詳細について数多くの仮説を立てながら、幾多の論争を繰り広げながら今もってコレ!と言った決定打がないからだ。それだけ傀儡子の全体像は、今以て謎に包まれている。

 しかしここは勇気を振り絞り人形劇という分野に坐する私(達)が語るとすれば、傀儡子とは【元来狩猟採集関連の仕事につきながら同時に人形劇等の芸能そして徐々に性的サービスまでも観客に提供していった不明瞭性の高い集団であり少なくとも平安時代には実在していた】と先人達の顔色を窺いながらまとめてみたいと思う。

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 この文章を読んでいる皆さんは人形劇に多少なりとも興味があると察すれば、傀儡子が上演していた内容が気になるはず。しかし残念ながら当時の該当資料は質量共にか細く、基にした想像力の羽ばたきもなかなかに弱いものがあった。

 結果として最も有名な資料=大江国房[おおえのまさふさ]著『傀儡子記』の記述「木製人形を生きた人間かのように舞わし闘わした」そのまま、または少し支えを足す程度の解説(木製人形の形状が棒型等)に留まっている。

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 かく言う私が気になったのは、不明瞭性を抱えた(抱えざるを得なかった)傀儡子が生業の1つに人形劇を選んだという1点だった。

 そもそも不明瞭性の高い集団というのは、傀儡子が住所不定及び出自を含む己がプロフィールを大っぴらに口外しなかったことを指している。ここに絶妙な想像の余地を育む空白地が生まれ、後年研究者達が大陸からの渡来人説や国内の逃亡者説等大変多くの(出自)仮説を立てる広大で肥沃な土地となった。

 御多分に洩れず、私もその地に頭を下げながら足を踏み入れる。不明瞭性を抱える傀儡子が己が身体だけで演ずることができる普通の演劇ではなく、わざわざ人形を用意して操演しなければ成立しない人形劇を生業の1つに選んだという事実。そこに傀儡子という集団にとって何かのっぴきならない理由があったのではないか、その発起を想像せずにはいられなかった。

 そしてその疑問を掘り進め仮説を構築することが、自分(達)にとって重要な示唆になるような気がしてならなかったのだ。

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●山猫まわしとの出会い

 そうこうしていると江戸時代、主にこどもを観客に据えて人形劇を行う〝山猫まわし〟という職業があったことを知る。

 山猫まわしが興味深いのは何と言っても演目群のトリ、それまで人型の人形を物語に沿って操演していたのに対しここでは毛皮で縫われた小型の動物(四足)型人形だけが登場する。そして突如「ヤンマンネツコにカンマンショ」等々言いながら、その人形を操りながら観客のこども達を追いかけまわすのだ。

 この動物型人形を山猫と呼び、それで観客のこども達を追いかけまわすことからトリの演目名は山猫まわしだったことが推測される。

 そしてとても単純な構成の演目だが、これがどうも大人気だったことは職業名にまで発展していることからも明らかだ。となると山猫まわしにとってそれまで上演していた所謂一般的な人形劇=操演者が定まった物語から一脱しないよう構成された演目(観客とのコミュニケーションという一脱の可能性を強く含んだ行為を戯曲等によって排除及びあったとしても少量に加え重要視されない演目群)は文字通り前座にあたり、トリに上演される人形が(を介して操演者が)観客とコミュニケーションを取ることそのものが重要視される演目=山猫まわしこそが最大の目玉だったことが想像されるだろう。

 もう1つ、大変に興味深いのが2世瀬川如皐[せがわじょこう]著『只今御笑草』によれば山猫まわしの本名は〝傀儡師[かいらいし]〟なのだ。​​​​​

●傀儡子:シミュレーション

 そんな山猫まわしがお尻に齧りついたままの私(達)は傀儡子の歴史、というより当時(起源)の心境を大変不躾ながら理解するために机上のシミュレーションを実施したくなった。

 まず、すべきは冒頭にチラと触れた先行研究者達が組み立てた傀儡子の出自仮説群を確認すること。

 するとそこには1つ、重要な共通点が透けて見えてきた。

 そもそも仮説群は大きく国内出自説、そして国外出自説に分かれている。

 国内出自説の内訳は特に非散民(主に理不尽に重い課役からの離脱者や政権争い等に伴った家や部族の離散者)を想定している研究者が多いようで、ここから不明瞭性の原点として元来他者に積極的に顔を見られたり発した言葉から自己の経歴を勘ぐられてはならなかったことが指摘された。

 一方国外出自説であれば中国や朝鮮半島そしてジプシー等多様な例が想定されているが、どれも言語による意思疎通の困難さに加え会話になる以前より外見(これは身体的特徴以外にも出自文化から発生する衣服・装飾・化粧等を含む)に対する差別を受け対面そのものを逃避つまり不明瞭性の高い生活を選ばざるを得なかった可能性が指摘されるだろう。

 またこれは国内国外説の垣根を越え、不明瞭性の高さを纏う生活からは心身の病によって強制的に一般社会から外れざるを得なかった者達の存在を感じ取れることも忘れてはならない。

 そう、見えてきたのはあれだけ乱立している仮説群が傀儡子がコミュニケーション困難者(または逃避者)だった点については共通(内包)しているということだった。

 そしてこの共通点からは傀儡子と対峙する相手、つまり当時のマジョリティの人々が傀儡子(に含まれるマイノリティ)とのコミュニケーションを苦手としていたことも浮かび上がる。これは現代のマジョリティが出自・容姿・経験・言語・精神状態等が異なる相手とのコミュニケーションに戸惑い避ける傾向が差別の撤廃やバリアフリーの推進を拒む障壁となっていることからも、この地に(住む民衆に)当時から普遍的に存在していると考える方が残念ながら当然ではないだろうか。

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 ともなれば以上の点を、元々の仮説は混ざり合った状態で構わずコミュニケーション困難者または逃避者という点だけを確定し基盤とした上にシミュレーションを再生してみよう。

 傀儡子のような集団が社会保障も定まらない時代を生き抜くためにはまずどうするか、集団外でのコミュニケーションが難しいとなると外部(他者)との接触を前提とした職能に就くことは困難なため排除される。

 するとできる限り集団内だけでまさしく自給自足を行うべく選択されるは、狩猟採集行為だろう。密かに小規模の開墾つまり農業も実施されるだろうが収穫時期までが長いため、まず生活の柱として狩猟採集行為が重要視されることは『傀儡子記』でも冒頭付近つまり傀儡子を説明する際にまず「男は皆弓馬を使い狩猟をする」と書かれていることからも補綴できる。

 そう、まずはこの体制でいい。これでいいのだが、ことはここで終わらない。傀儡子の総人数ははっきりとしないが、あれだけの資料に登場していることを鑑みれば数人というわけにはいかないだろう。確かに、最初は数人だったのかもしれない。だが徐々に参入者が増える、つまり集団が大きくなればなるほど狩猟採集だけで全員分の食料を量そして栄養的に賄えなくなることは火を見るよりも明らかだ。

 ではどうするか…答えは残酷なまでに単純である。狩猟採集で得た肉(魚介類のも含む)や毛皮に加えて野草そして海藻諸々を農民や商人や旅客に売る、または交換することでカバーできるのだから。

 しかし当たり前だがこの選択肢は傀儡子が避けてきた他者とのコミュニケーションの上にこそ成り立つ、つまりこの段階で傀儡子は否が応でも他者とコミュニケーションを実施しなければならない状況下に至ったのではないだろうか。

 さぁ、傀儡子は早急に考え出さなければならなかった。自分(達)の存在を相手の目線(認識)から隠し逸らしても成立する、そんなコミュニケーション・ツールを。

 更にツールは今後、長期的な経済活動を実施するためにトラブルを避けられる(≒相手も自分もストレスのかかりにくい)穏和で寛容な空間を構築する手助けにならないといけない。

 そんなコミュニケーション・ツールがあるのかと、切迫した状況と思案の果てに白羽の矢が立ったのが人形劇という芸能だったのではないだろうか。​​​​​​​​​​​​​​​​​​

●コミュニケーション・ツールとしての人形劇 

 ここでふと思い出す出来事がある、現代の人形劇にて幕が下りると突然始まる〝触れ合いタイム〟についてだ。人形劇が終わって操演者達がお辞儀をしたのも束の間、スタッフの「近くで見てください」という号令と共に舞台最前列へと走り寄る観客達の姿。時には「舞台に上がっても大丈夫ですよ」という大サービスもありつつ、観客達は人形と触れ合ったり介して操演者と談笑したり写真なんかも一緒に撮っちゃったり。人形劇へと足を運ぶ機会が一度でもあった方々なら、確かに見たことがある風景だと思う。

 劇場内で行われないパターンもあるあるある、幕が下りたら先回りしてエントランスで待っている操演者と人形と観客が行うは相も変わらず触れ合いタイム。

 興味深いのはこれら触れ合いタイムのせいで通路が詰まっても、帰路に遅れが生じても頭ごなしにスタッフや操演者を叱責する観客を私は見たことがないということだ。人間のみの舞台ではこうはいくまい、というよりそもそもこれだけフレンドリーに演者と観客が触れ合う時間を人形劇以外の舞台作品で取られることは滅多にない。

 つまり触れ合いタイムこそ、人形劇が操演者観客共に(つまり双方にとっての他者に)対して寛容で穏和な(愛想が良く触れ合いやすい)関係性≒空間を構築することができる証なのではないだろうか。

 そう思って周囲を見渡せば、なるほど人形劇が優秀なコミュニケーション・ツールとして機能することを示すように現代を生きる私達の周囲には溢れかえっている

 噓だと思うのなら今すぐに文章を読むのを止めてスマートフォンならホーム画面、パソコンならお気に入り欄も見るといい。きっと1つや2つ、交流アプリをインストールしていることだろう。LINEやInstagramそしてXなどが有名どころだが、共通して私達は自ら制作(設定)したプロフィール画像を介して他者とコミュニケーションを取っていることを思い出してもらいたい。実際に画像の向こう側の顔を知っていようが、今コミュニケーションを取っている相手の身体は画像のみで構築されているということを

 つまりこれは質量を持たない人形を介して行われる、まさしく人形劇に他ならないのだ。メタバース空間で交流するための3Dアバターやイラストやアニメーションを自らの身心と解釈して動画配信を行うVTuberも同様、どれもこれも人間が人形(〝人〟の〝形〟(身心)を成すモノ≒延長線上と成るモノ)を操演することで実施される自己表現つまり人形劇なのだ。

 確かに遠い場所にいる他者とのコミュニケーションという齟齬的トラブルが起きやすい環境だからこそ、互いに寛容となれる人形劇の形式は必須なのかもしれない。

 

 考えてみれば、人形劇にはコミュニケーション・ツールとして優れた点が詰まっている。

 たとえば、人形。人形劇では操演の都合上モデルのサイズに比べて小型化する傾向にあるが、その体躯が結果として人形に幼児性をもたらすことで非攻撃≒庇護欲というイメージ(感情)を観客に与え連なる形で安心感と寛容性を生みだすきっかけとなっているのではないか。だからこそ観客は周囲のノイズつまりストレスを避ける形で、自然と人形へと目線が落ちるのかもしれない。

 たとえば、操演。そもそも多くの人形劇の人形は内蔵するカラクリの影響から操作が複雑で難易度高、集中力必須な点は否めない。そのため素早い動作は困難を極めるが(おまけに多くは舞台上に活動域が固定されている)これは「人形劇を上演している最中の私(達)は突然あなたを攻撃することはない(できない)」という操演者の意思表示に繋がっているのではないだろうか、それを古今東西の観客が瞬時に受け入れ安堵してきたことは逆説的に現代のホラー映画などで人形が攻撃してくる作品が1つのジャンルとして成立するほど人気な(つまりしっかりと恐怖を感じている)点から窺い知れるだろう。動く人形つまり操演者によって操演される人形劇の形式を絶対的に安全なものだと観客が認識するからこそ、突如想像もしなかった攻撃性を発揮することに対し心底恐ろしく思うのではないだろうか。

 

 少し寄り道をしてしまったが、つまり私(達)はシミュレーションの末にこう思ったのだ。傀儡子は他者の視線を自ら(操演者)から逸らしなおかつ寛容性の保たれた関係そして空間を構築するために人形劇という芸能を一種のコミュニケーション・ツールとして採用し活用していたのではないか?と。

 そしてこの仮説が、ヒナワタというアーティストと人形劇団を産むきっかけとなった。​

​●ご挨拶​​

 あらためましてこんにちは、ヒナワタです。

 ヒナワタは私のアーティスト・ネームつまり芸名ですが、決して私1人の物ではございません。人形劇団ヒナワタに所属する全メンバーがヒナワタと呼ばれ、それは黒衣[くろご]=匿名として人形劇を創るという根本的な団体姿勢を表しています。

 

 この匿名性には、2つの対象への想いが込められています。

 まず、観客に対して。私達は傀儡子シミュレーションを通じて得た【コミュニケーション・ツールとしての人形劇】を団体テーマに掲げ、人形劇制作及び発表を通じて一般社会から遠ざけられている多義的なコミュニケーション困難者の存在を浮き彫りにする+実際にコミュニケーション・ツールとしての人形劇を流布及び固着化を目指しています。これは絶対的な観客という存在が、ヒナワタには存在しないことを示すでしょう。

 となると、困ったのは製作者の存在でした。どこまでも馴染んだ自分だけのコミュニケーション・ツールとして、その身体の一部(まさしく人形)として自然に人形劇を活用してほしいのだから別人つまり製作者の顔がチラつくのはいけません。そこで採用されたのが匿名性、メンバー全員がヒナワタとして陰から活動するという体制でした。まさに傀儡子にとっての人形劇が、そうであったように。

 2つ目は、劇団員に対して。そもそも私自身が長年に渡って重度の不安障害を抱えている(他者とのコミュニケーションを大の苦手としているにもかかわらず強く求めてしまう)ことへの悩みを周囲に打ち明けたこと、その解決策を共に思考し始めたこと(その一環が傀儡子シミュレーション)がヒナワタの発起のきっかけでした。

 だからこそ私を含む多種多様な心身状態そして境遇の人でも制作活動がしやすい体制とは何かを考えることは自然の流れ、結果としてまさに傀儡子がアイデアの基盤となりました。匿名(ヒナワタ)というある種の人形を介して活動を行うことはあらゆる心理的ストレスを予防することに繋がり、同時に利他的なアイデアを出し合える下地となると考えたのです。

 

 一方、ヒナワタでは匿名を含む人形劇そのものが備える危険性についても考察と対応策を話し合ってきました。これは【傀儡子が性的サービスへと徐々に従事していったのは人形劇からアイデアを得た】のではないか、つまり自らの身体を人形化(他者の求める化粧装飾そして性的サービスの習得によって操演されやすい物体(人形)へと変身)することでコミュニケーションの円滑化(ここではより自らを他者へと消費させやすくする効果)を狙いつつ同時に売春にて発生する精神的葛藤や心身の痛みを客観視し和らげるクッション(視点分割)として転用していたのではないか?という仮説から派生した姿勢です。

 注意しなくてはならないのは、この仮説における問題の根本はマイノリティである傀儡子が人形劇の手法を性的サービスへと転用させなくてはならない状況を作った当時の社会(政治)そして消費する潮流を推進させた買春者(及びブローカー)であることです。

 そして、そんな人形劇の転用は残念ながら今も続いているのではないでしょうか。交流アプリの一部が倫理的に問題のある性衝動の発散場(交流場)及び差別の温床となっていることは明らかであり、これらの問題の根本は人形劇(の仕組み)の転用の末ではないかと私達は考えています。

 そしてその責任を人形劇に携わる者としてしっかり持つべきという想いから、私達の役割は指摘性を持つ啓蒙作品の制作に加え設計段階よりコミュニケーション・ツールとしての人形劇の転用防止を徹底し提供後も万が一道を逸れた時は指摘し誘導するため見守りを継続することでもあるのです。

 

 さて、長くなってしまいましたがこれにてヒナワタの自己紹介はお開き。

 まだまだお話したいことは山ほどありますが、それはまた随時。

 正式の旗揚げからいまだ時の短い私達ですが、末永く人形劇を創っていけるよう精進していく所存。

 どうぞ御贔屓のほど、よろしくお願いいたします。

 そんなこんなで最後は、やっぱりこの言葉で締めくくらなければならないでしょう。

 

 ヤンマンネツコにカンマンショ

 

《参考文献》

伊藤好英.藤原茂樹.池田光(編)『折口信夫芸能史講義 戦後篇 下—池田彌三郎ノート』慶応義塾大学出版会株 

 式会社.2016

折口信夫(著)折口博士記念古代研究所(編)『折口信夫全集 第三巻』中央公論社.1966

​喜田貞吉(著)礫川全次(編)『先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選』河出書房新社.2008

滝川政次郎『遊女の歴史』至文堂.1965

谷川健一.大和岩雄(編)『民衆史の遺産 第四巻 芸能漂泊民』大和書房.2013

角田一郎『人形劇の成立に関する研究』旭屋書店.1963

宮尾與男(編)『図説 江戸大道芸事典』柏書房.2008

森銑三. 野間光辰.朝倉治彦(監修)『続燕石十種 第三巻』中央公論社.1980

山岸徳平.竹内理三.家永三郎.大曾根章介(校注)『古代政治社会思想』岩波書店.1979

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挿絵①長谷川光信『上方・絵本御伽品鏡』参照​(ヒナワタ:イラスト部)​

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